蒼月光


     

「姉上。何をなさっているのですか?」

愛する弟、夏樹の声に雪乃は振り返った。

「月を・・・月を見ていたのですよ。夏樹こそどうしたのですか?

このような時間に起きていてはまた熱が出てしまいますよ」

今は草木も眠る丑三つ時。普通の人間とて、ほとんど起きてなどいないような時間だ。

まして生まれつき不治の病に侵されている身である夏樹が起きているなんてかなり珍しいこと。

「そう心配なさらずとも大丈夫です。今日はかなり気分も良いですし」

そう言って彼は弱々しく笑った。やはり少し無理をしているように見受けられる。

「しかし、もう夜も更けて参りましたし…私も寝ようと思っていたところですから。部屋へお戻りなさい」

静かな声音でそういうと弟は反論こそしなかったものの悲しそうな表情を浮かべた。


「そうだ。明日は早く戻れそうですから、もし貴方の体調がよければ散歩にでも行きませんか?」

彼の表情が一気に明るくなる。正直、寂しかったのだろう。

この所、忙しさにかまけてあまりかまってやれなかったし・・・そう、雪乃は思った。

「いいのですか!?」

「ええ、もちろん。さあ、そうと決まれば早く寝なくてはなりませんね。明日、行けなくなっては困りますから」

「そうですね。姉上の言う通りかもしれません。では、お休みなさいませ」

心底嬉しそうに彼は頭を下げ、部屋へと戻っていった。その足音が静まると雪乃は再び月を見上げた。

            

「・・・どうして・・・」

思い出されるのは今日死んだ友人の事。

彼は盲目の妹の為に、とある研究所へと忍び込んだ。開発中の薬を盗み出すために。

雪乃がその研究所へと行った時、彼は半分以上化け物の餌食となっていた。

彼の足は喰われ、もうないと言うのに、その事に気付かないのか彼の腕は前へ進もうと宙をかいていた。

必死になって。

「もう、走らなくても大丈夫ですよ」
 
化け物を倒し研究所を脱出しても、まだ雪乃の腕の中で走り続けていた彼にそっと声をかけると、

彼はうわごとのように言った。

「早く行かなくちゃいけないんだ、妹の元に。もう真っ暗になってしまったし、

これ以上あの子を一人にしておけないんだ。今日はやけに寒いし風邪を引いているかもしれない」

そして、彼は夕日に照らされながら息を引き取った。血の気の引いた真っ青な顔で。

「時雨・・・さん」

月を見やり、雪乃は友人の名を呟いた。

と、同時にこらえ切れなくなったかのように涙が頬をつたっていった。

「どうして・・・泣いているのだろう」

彼女には分からなかった。己が泣いている理由が。しかし涙は止まらない。

「どうして胸が痛いんだろう」

どうしたら良いのか分からない程に悲しくて、苦しくて・・・

こんな感情を彼女は知らなかった。

でも、一つだけ分かる事は・・・・・・

「・・・私にはこんな感情いらない・・・」

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